吹田市 木村ゆたか
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誰も置き去りにしない!
まっとうな政治を、吹田から!

わたしがめざしているのは、日本に真の意味での草の根民主主義をつくりだすことで、そして現場の切実な声に根ざした政治を実現することです。いろいろな困難を抱える人たち、現在の政治に失望している人たち、それでもなんとか政治を変えたいと願う人たちと共に…。
この日本社会に生きる多様な人たちとつながり、ボトムアップで新たな未来のビジョンを描きたい。本当の変化は必ず小さな声からはじまっています。わたしにはあなたの力が必要です。あなたと共に草の根民主主義をつくりましょう。

千里ニュータウンで40年

千里ニュータウンに今、新しく越して来られる方がどんどん増えています。私も約40年前、1歳に満たない息子と妻の3人で、大阪市内から移り住んで来ました。大阪市内の雑然とした便利さに慣れていた当初は、正直言って「不便やなあ」「何もないなあ」と思っていました。けれど、子育ての環境として、こんなに素晴らしいまちはない、と感動したのも確かです。

千里ニュータウンは、全国初の大規模ニュータウンとして、昭和37年にまちびらきが行われ、まず佐竹台、翌年に高野台、次いで津雲台、藤白台、古江台、青山台と入居が始まりました(桃山台・竹見台は昭和42年から)。日本万国博覧会のあった昭和45年は、せんちゅうパルの前身の専門店街が千里阪急百貨店、大丸ピーコックとともに開店、また、新御堂筋、中央環状線(中環)の完成、北大阪急行・千里中央駅の開業と、千里ニュータウンが完成した年と言えます。

約40年住み続けた今では、子育て環境としてだけでなく、「自分たちで創ることができる」大きな住みがいのあるまちなのだと実感しています。年齢も職業も出身地もさまざまな人たちが、全員新参者として「ヨーイドン」とばかりに同時に住み始めたまち、全国初の大規模ニュータウンとして「自分たちでこのまちを創りあげていくのだ」と意気込みと誇りを持って住み始めたまちが千里ニュータウンです。その気風は今でも受け継がれており、そんな心意気のある千里ニュータウンが私は大好きです。

まちびらきから50年以上が経過し、今後更に、いろいろなリニューアルが計画されています。千里ニュータウンの住人として千里市民の声を議会に届け、次世代へと繋ぐまちづくりを皆さんと共に作り上げて行きたい、「だれもが安心していつまでも暮らせるまちづくり」、そして「誰も置き去りにしない社会」の実現のために!