地域での活動紹介

東日本大震災 1ヵ月後に被災地へ

衝撃だった、東日本大震災!
1ヵ月後に被災地へ

発生直後から現地入りを考えていましたが、現地でのガソリン不足や、交通手段の途絶によりなかなか関西からは行けなかったのですが、やっと時間的に調整をつけることが出来、発生後4週間目になった被災地の様子、支援物資の現地での流れの様子、ボランティアの受入れの様子、避難所での子どもや、高齢者、障害者の支援の様子、建物の泥出し、家具の運び出し等、出来る限り目と耳に入れておこうと、関西から現地への臨時便の山形経由で仙台市に入りました。

本来なら現地での支援のため、自己完結装備の準備で、建物の泥出しなど具体的な活動をと、長靴・ゴム手袋・マスクなど準備をして行きましたが、時間的制約もあり、ボランティアセンターの具体的な活動の様子と避難所運営の様子、また塩釜市と仙台市の被災の様子の一部を確認するに留まりました。

◆仙台市若林区ボランティアセンターは地震発生後5日目に立ち上げられ、たくさんの犠牲者がでた荒浜地区住民の避難所(訪問時19カ所1700人)の運営や、県内・外からのボランティアの受け入れ、それに高齢福祉施設が津波に遭い、高齢者の避難所での生活に対応しているとのこと。連日約200名のボランティアの方が訪れ、センターでは「受付け班」「要請受付け班」「派遣調整班」「支援班」に分けるなどきめ細やかな対応をしていました。

◆塩釜市ボランティアセンターには連日約250名もの人が訪れ、民家の泥出し、家具の片づけなど、また瓦礫の撤去などのボランティア要請も多く、不自由な在宅生活を送る方や、未だ避難所に避難している多くの方の支援も行っており、ニーズ需給のバランスも良く、着実に成果を上げているとのことでした。
すぐ近くにある塩竃公民館には約100人の方が避難されており、炊き出しの準備がされていました。
塩釜市や仙台市ではニーズ自体が減少傾向にあり、徐々にではあるが、復興期に入ってきており、今後は生活支援に向けたニーズになっていくのでは、とのこと。
仮設住宅の建設など具体的な施策が進まないと、避難所の人口は減らないところにきているとの事でした。
ボランティアの活動メニューとしては建物の泥出し作業、瓦礫の撤去、救援物資の搬入・仕分け・搬出、給水所の協力・手伝い、避難所での受付・案内、子どもの遊び相手、高齢者の傾聴などがあり、専門のNPOも活動を続けているとのことでした。

◆さて、このような災害が仮に吹田市でも発生した場合、発生後3日間、1週間後、10日後、2週間目、20日目、4週間目と、時系列で節目ごとの対策が必要となってくるわけで、今後、行政の役割、民間やボランティアの役割など、初動体制から復興に至るまで、整理をしながら具体的な「地域防災計画」を立てる必要があると考えます。
阪神淡路大震災後にできた、「全国一律」の自治体防災計画をもう一度見直しをして、吹田の防災計画を吹田の住民で計画を作っていかなければと考えています。

吹田市の現地派遣

◆吹田市消防は発生直後3月11日夜万博広場に大阪府隊として集合、車中一泊で岩手県大槌町に到着、救助活動を開始しました。

◆吹田市水道部は第1陣が3月16日に出発、現在第6陣が岩手県大船渡市で給水活動を実施しています。

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地域での活動紹介リンク

  • 災害時での要配慮者への支援
  • 熊本地震
  • 東日本大震災 1ヵ月後に被災地へ
  • 自然環境および生物多様性の保全
  • ピアノ池の環境保全活動
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